利用条件
- チャンネルの購読はのに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの購読はに限られます
- チャンネルの閲覧には闘病女子部室へのアカウント登録/ログインが必要です
注意事項
- 購読ライセンスの期限を超えると、チャンネルを閲覧できません。購読ライセンスを新たにご購入ください
- 一度ご購入された購読ライセンスの返金はできません
これまでのご利用、誠にありがとうございました。
今回は暗いかも知れないので閲覧注意。(最近、閲覧注意しか言ってない気がする…(; ̄O ̄)) 本題の前に雑談を…笑 毎日暑いですよね…(>o<) 昨日外出していて、相当暑かったので塩分と水分しっかりとるようにしたら…むくみました…(^◇^;) すねがへこむよ。いや、普通の人もむくむと思うし、病気の性質的にもむくみやすいと聞きますが、腎臓からのむくみに注意!(それは合併症のサインかも)な病気なので、むくむと多少ビビります。(はい、ビビりです。)主治医から言われているように、顔むくんできたら対処しますね。 本題行きますね。 さっき、心理の先生からの宿題の心理テストをやっていました。 2種類。チェックをつけるものと、書きかけの文章の続きを書くものです。 書きかけの文章の続きを書くものに取り組んでいて思ったのは、「向き合うことの難しさ」。 過去と向き合うことも。今と向き合うことも。未来と向き合うことも。 文章は思うままに書くという指示なのですが、たまに書きながら泣けてしまうものがある。 普段忘れたように思っている過去も、やはり心には深く根を下ろしていて。 辛かったことも含めて、過去があって、今があって、それが未来につながるのかな。 心理テストに取り組みながら、「あぁ、過去が今をこじらせてるなぁ…」と思うこともあったり。 とにかく再確認したのは、過去があって今につながっていること。 ということは、今も未来につながるのでは…。 ずっとやってこれたのに、なぜここで身体がサイン出しちゃうの?と思うけど、ある意味、今回、身体がサインを出してくれて良かったのかも知れないです。そうじゃなきゃ、多分心のことに気づけなかった。 自分で、「私弱いなぁ」と思うけど、主治医の先生や心理の先生の力も借りながら、上手く「今」をこじらせずに軌道修正したいです。 よりよい未来になるように。 負の連鎖を打ち切れるように。(←これは先生とした話。)
こんにちは。こころです。 雨ばっかりでみなさん体調優れないのでは?? わたしはしんどいです。。 今回ちょっとグチが入るので閲覧注意です。 やっと、ずっと原因不明だった麻痺の1つを病気特定することができたのに… 全然前には進めていません。 診断された1週間後の昨日、再び行ったら主治医がその病気の存在忘れていました(^^; ちょっと、いやだいぶ主治医のことが信頼できなくなってきた…ような… わたしの新たな病気は、複合性局所疼痛症候群CRPS。 前回とりあえず、塗り薬の痛み止めをもらってたんだけど、それだけでおさまるはずもなく。 全然痛みおさまらないって言ったら、 「えー?腱鞘炎でしょ?」みたいな… わたし「いやいやいや、この左手、複合性局所疼痛症候群って話は?」 先生「ん?あっそうだった(汗)CRPSだったね。でも腱鞘炎もあると思うんだよ」 わたし「ない」(だって毎回おきまりの会話だから) 先生(腱鞘炎の時に痛む押し方で押す)「痛くないのか、じゃあ違うね」 わたし「でしょ?」 そんなに腱鞘炎にこだわらなくても。この腱鞘炎の圧痛、診察のたびにやってるから(笑) そして違うと納得してくれるのだけど。 このやり取りにこっちは笑いそう。 っていうか、病気の存在忘れないでよ。 自分が先週診断したんでしょうが( ̄^ ̄)ゞ 患者さん混雑してたし、まぁいいんだけどね。 その後の会話でも、ちょっと信頼できなくなってきました。 この病気についてわたしも調べてみました。 ネットの情報にまどわされて、なんでも信じたらいけないと思う。 でも、ちゃんと信用できそうなもので見た治療法とかこの病気の重要性が、主治医と全然違うんです。 こんなこと言うのもなんだけど、主治医はこの病気について考えが甘いと思う。 わたしは骨や皮膚や筋肉が萎縮してるっていうのがすごく怖い。 見た目にもおかしくなっていくこの手の進行を食い止めたい。強烈な痛みをおさえたい。 そのためには、早期に治療するのがすごく大事でしょ?って言いたい。 動かしたほうがいいよとか言うけど、そんなレベルではなく、これに対してリハビリすべきでしょ?って言いたい。 すでに関節固まってきたんだけど… 薬の話になって、すでにわたしがリウマチ内科からの神経系の痛み止めを大量に飲んでるから、薬の調整はなかなか難しいんですが。 一つ、24時間持続型の痛み止めは1日1回の服用のはずだけど、わたしは1日もたなくて朝夕にわけてけっこう多めに飲んでるからびっくりされた^^; すでに飲んでる薬が、この病気の治療薬にもなるからから増やすべきかなぁと思ってたら、それはこれには効かない!ってきっぱり言われた… で、効くという薬をもらったけど、前に飲んでて経験上それはすごく威力が弱い。 たぶんこれぐらいじゃ、わたしの痛みに勝てないと思うな。 もっと他にあるはずだけど… 薬に関しては他科の主治医にも相談して、話に上がってる新たな薬を試していこうかなと考え中です。 で、わたしにとって一番重要な、もともとある右手足の麻痺もこの病気が影響してるんじゃないかってこと。 右も骨が萎縮していたり、この病気のせいで筋力低下してたりないかな…と思うのです。 それを聞いたら、 「そうだったら大学病院の神経内科の教授が最初に気づいてるって!〇〇先生すごい人なんだよ!」 まぁそうですよね!って笑って答えたけど… わたしはその教授さんが名医で先生達の間で尊敬される人だとしても、その先生が見つけられなかったからと言って自分は病気じゃないとは思えないの。 そんな先生達の上下関係なんて患者は知らない。 診察した医者の権威ではなく、目の前の"わたし"を見てほしい。 そう思うのはおかしいことなのかな? しかもその教授さんが主治医だったのは、最初の3回だけだしね(^^;) いろいろと主治医に不信感がつのってしまいました(;ω;) まあ、この病気は整形外科のクリニックでは限界があるのかも。そもそも何科で見てもらうのが正しいのか… 左手の原因を見つけてくれただけでも有難いと思って、あとは神経内科とリウマチ内科の主治医に任せよう。 整形のリハだけでなく、原因不明の右手足の麻痺のリハビリを(サービスで)してくれる今の病院は間違いなくわたしの支え。 リハビリの先生大好きだし。 良いとこだけとって、ここで難しい病気は別の病院でやっていこうと思います(^-^) まず今週の水曜日に大学病院の神経内科に行くので、主治医にこの病気のことを相談しよう。 そのあとリウマチ内科の主治医へ。 ちゃっかりレントゲンのデータをゲットしてきました!(左手の骨が部分的に萎縮してる証拠品) 最近は異常があるレントゲンやMRIの結果は、データをもらうようにしています。 そこの病院で話が進まなくても、それを持って他の病院に行ける。 あっちの主治医にも見せたいので〜とか言って。 これはリウマチ内科の主治医から叩き込まれてる患者としての心構えの一つです^ ^ 患者も知恵を働かせなきゃね☆ 検査代はわたしが闘病しながら必死に働いた給料。 しんどい体で頑張って受けた検査。 疑問や不安を残したままにせず、自分が納得できるまで追求したい。その権利があると思う。 データさえあればなんとかなるさ!って開きなおって、わたし、前に進もうと思います(*^ω^*) ではでは、みなさんもキツイなかでも少しでも穏やかな気持ちでいられますように(*´꒳`*)
今日はついに受診日でした(*´꒳`*) 心の疲れが体の症状として出てしまっている件です。 相変わらず主治医大好き丸出し&私のメンタル話入るので、閲覧注意かけておきますね。 行って、診察室で先生と少しお話しした後、 「今日は〇〇ちゃん(ずーっとそう呼ばれてます笑小児科なので笑最初に会ったのが9歳と思うと感慨深い…。)に紹介したい先生がいます(^^)心理の先生なんだけど、私もよく話聞いてもらうし、私も大好きな先生だから大丈夫よー(^^)」 と言われ、処置室の裏の別の部屋に連れられ、心理の先生とお話ししました(^^) 今回は主に学校のことでした。 小学校の頃の話からしました。体調にまつわったりする小学校の対応の話(あまりよろしくない対応(ー ー;))とかもしましたが、当時から薄々思ってましたが、やっぱり小学校の対応は変わってるらしく、驚かれました…苦笑 波乱万丈ね…って言われましたね(^◇^;) その後、次回までに心理テストやって持って行くことになりました。 初対面でしたが、なんだか話しやすそうな感じでした(*´꒳`*) その後、もう一回先生とお話したくなって…お願いしました(^_^;) 先生が降りてきてくれて、またお話しました。沢山お話ししました。 まとめとして、今回の先生と話した「心がけること」を書きます。 書いて、再認識。笑 それは 「もっと自分のことを考えること。 少しずつでいいから、そうしていこう。自己中ぐらいでちょうどいいからね。」 私「う…難しい…」 先生「まぁ、そうだと思うんだけど…。」 自分で言うのも変ですが… 私は、家庭環境上、小さい時から、家族にとても気を使ってきました。 昔から、実年齢よりも上の対応を求められ、(それは、お話ししている中で気づかせてもらったのですが。ずっと当たり前だと思っていました。)穏便に行くように、色々考えて、行動してきました。 それが普通だと思ってきたし、潤滑油になるために頑張ってきたつもりです。(それでも「本当に気が利かない!!」などと言われますが…。)それでも、そうじゃないと、成り立ちそうになかった。 とここまで来たわけですが、最近身体に症状が出るようになってしまったのです。キャパオーバーです。時期は、年齢的に、変わって行く時期っていうのもあると言われています。 そうやってきた私にとって、今回の課題は難題です…。 でもこれからのために乗り越えないといけないね。という話で。 新たな課題ですね。 難しいけど、難しいけど、頑張ります(*´꒳`*) やっぱり先生と話してると落ち着きます(*´꒳`*) そんな大好きな主治医は、お話の後、一緒に1階まで降りてくれて、そうしたら、会計閉まってたのでΣ(゚д゚lll)、時間外会計のところまで一緒に行ってくれて、会計終わらした後、玄関まで付いて来て見送ってくれるという…(;▽;)(心の中では←笑、嬉し泣きで号泣ものです…!!!) その間も雑談したり…(嬉し泣き) 先生に「甘えられる人には甘えなさいよ〜気ぃ使わなくて良いから!」 って言われたので 私「えー、私、先生にはすごい甘えてる笑」 先生「そうっぽいね〜いいよ笑」 という会話もあったり。笑 ありがたすぎて泣ける…!!! 次は2週間後です(*´꒳`*) また日々、頑張ります(^^)
明日は受診日です(*´꒳`*) この2週間、しんどいこともありましたが、明日の受診日を楽しみにここまで来ました。よし、あと1日(笑) 今日は、校医検診がありました。夏に宿泊行事があるのでそのためです。しかし、持病がある人は、ここで校医の先生の印もらわないと行けないので呼ばれます。もちろん、呼ばれて、行ってきました。 ここからは、閲覧注意…。愚痴入るかも。 部屋には保健室の先生と校医の先生がいました。 ちなみに保健室の先生は、私の吸気性喘鳴が、心の疲れから来ていると言われたことを知っています。 問診と診察があって。 問診は、健康診断などのように状況を自分で説明しました。 診察で。 やっぱり、多少喘鳴が出ていたようです。自覚としては苦しくは無かったのですが。 というか、慣れて自覚が薄れているのかも知れないです。波はありますが、最初の喘鳴から3ヶ月経ちました。その間、ちょこちょこ出ています。よっぽど酷いと苦しいので気付きますが。 それで、喘息あります?と聞かれ、経緯を話すことになりました。 校医の先生「心の問題もあると思うんだけど、喘息とクループもあると思うんだよね。音はどちらかというと喉からの音だと思うんだけど。喉頭浮腫とか…。耳鼻科行きました?」 私「耳鼻科も行きました。」 校医「そうですか。とりあえず、これは宿泊行事のための検診なので、宿泊中に喘鳴が酷くなった時のために、行事の前にお薬とか、対処を主治医の先生に聞いて来て下さい。」 このような感じだったのですが、4月〜現時点で私を診た先生5人の見解がバラバラしていて混乱します…。 総合病院の主治医、国立病院の主治医→心の疲れや自律神経系から (ぜんそく治療は要らないよ…!心からの問題あると思うので、お話聞くよ。) 総合病院の代診の先生→喘息!! (ぜんそく治療始めて!) 大学病院の先生(エーラスで受診した日も聴診では喘鳴が出ていた)→咳喘息…? (ぜんそく薬使って悪いことはないんじゃない…?) そして今日(喘息、クループ、喉頭浮腫?+心?) というか、今日の喉頭浮腫とか…?というお話がちょっと怖かったです(°_°)一応、最初の時に総合病院の小児科から耳鼻科に回されたから行って、喉頭ファイバーやったのですが…。 そういえば国立病院の主治医にも前回、耳鼻科行ったか聞かれたな…。 キーワードは耳鼻科…???? という感じです。 My 喘鳴よ。君の正体は一体なんなんだ…!(^_^;) というわけで、明日の受診で、喘鳴用のお薬の話も聞かなきゃいけなくなったので、その時今日の学校検診の話も話そうかなと思います。 突然すみませんでした…。
こんばんは。こころです^ ^ この前はわたしの麻痺の進行の話しにコメントしてくれてありがとうございました。 読んでくれた方、聞いてください! なんと、1つ原因がわかって病名がつきました!!! 大きな一歩前進(*≧∀≦*) 結論から言うと、骨が萎縮してきていました。 たぶんすでに皮膚も筋肉も。 どういうこと⁉︎って感じですよね。 はい、説明します。 1年前から右手足が麻痺しています。 先週あたりから左手足にも力が入らなない&痺れが出てきたから、ついに左に来たかと… いつものリハビリの整形外科で診てもらい、次の日神経内科受診しました。 すっごく焦ってたの。歩けなくなったら困る。 が、その後なんかこれは右手足の麻痺とは種類が違うんじゃないかと気づきました。 右と今回の左の発症の仕方を冷静になって整理してみました。 (わたしの脳内) 発症4日目、右と同じなら今頃は腕上がらないし、足の指も動かないだろう。 左手の痺れてるのは、手首と肘の中間から指先にかけて。 5月から皮膚が真っ白に変色し、皮膚が劣化した感じの親指側の手首の骨が腫れてきてる。 ってか、どんどんここが痛くなってきた。 左手の麻痺、絶対これのせいだ。。 っていう結論に達して 土曜日にリハビリついでにもう一回主治医のところに行きました。 今回は絶対原因見つけてやろうって思ってました。 これまであたしが上手く伝えられないせいで、ちゃんと先生に症状を理解してもらえなかった。 その失敗をもう繰り返すわけにはいかない。 心配しすぎと笑われようが気にしない。 言いたいことは全部言うって心に決めて。。 …診察… 左手の麻痺の原因について議論 腱鞘炎だよと言われ、違う!腱鞘炎の痛みじゃない、骨なの!と言い張り。それは先生も違うと納得。 じゃあなに?って聞かれて、知るかー!こっちが聞きたいって思った。 「その部分には感覚神経はあるけど運動神経はないから、痺れはわかるけど麻痺にはならない。もうわからない。わからないことだらけだね」 って言われた… 主治医の言いたいことはわかる。 でもここで諦めてもらったら困るの。 「いやいや痛いし力入らなくて生活できない」って言ったら、じゃあレントゲン撮ろうということになった。 たぶんわからないと思うけどという言葉つきで。 こんなこと書いてるけど、主治医のこと信頼してるんですよ^ ^ 今回は特に主治医に言いたい放題言っちゃいました。主治医も遠慮なく言ってくるから。 …レントゲン後診察… 診察室入って、レントゲンをぱっと見なにも映ってないから、なんもないですね〜って声かけたら、主治医が得意げに 「異常ないように見えるでしょ?それがあるんだよ〜」 と大きな辞書を持ってきました。 「本当ですか!?」って不安よりも、ついにわかるかとワクワクした。 不思議な医者と患者でしょ?(笑) で、「左手のレントゲン、骨が痩せてきてるんだよ」って言われました。 どういうこと!? そして1つの病名を告げられました。 骨は通常レントゲンで白く映ります。 が、わたしの訴えてた手首も、すべての指の付け根も黒い。 レントゲンで骨として映ってくれないんでしょうかね… これは骨が萎縮してるらしい(@_@) 手首の皮膚の色素がなくなり白くなって、シワシワに劣化してるのも、皮膚が萎縮し、変色してるんです。 なんとも説明しにくい独特の痛みも、力が入らないのも、これで説明がつくらしい。 なるほどね〜そんなことが起きるのか… まさか骨が萎縮してるとは衝撃的。 ついに見つかった病名は 『複合性局所疼痛症候群(CRPS)』 主治医がね 「やっと1つ原因特定できたね!!」 って言ってくれました。 めっちゃ盛り上がった(*≧∀≦*) 主治医はいつもいつも難題ばかり持ってくるこの患者の原因を見つけられたことに、達成感と安心感があるようです。 見つけてくれたこと、ほんとに感謝です^ ^ 普通、診断されたら不安だろうけど、わたし嬉しくて嬉しくて。 診察室出てから、主治医が病名書いてくれたメモを見ながら泣きそうになった。 怖いからじゃない。ホッとしたから。 これからがわたしのスタート。 ようやく前に進めるのです! 病名特定するだけで診察時間使いすぎたから、治療とか今後の話はまだこれから。 わたし的には右手足の麻痺もこれ関連だと思います。ここが一番大事なとこ。 来週の神経内科受診までに、今回の主治医のところにもう一回行く。 右手足との関連、進行、治療…聞きたいことをリストにして持っていくつもりです。 この1週間、仕事も日に日にパソコンが使いづらくなってきました… 月初で大忙しなのにこのままじゃ自分の仕事をちゃんと果たせない。 なのでせっかく病名も1つわかったことだし、今日上司に話しました。 通院で急きょシフト変更があること、業務スピードが落ちていくこと… できない分はみんなで割り振ってフォローしてくれるそうです!ありがたい。 わたしは自分にできることを精一杯やっています。 障がい者雇用でも手抜きはしない。 病気のことは話しにくいけれど、普段コツコツ頑張って信用してもらえたら…伝え方次第で病気でも配慮してもらいつつ仕事ができる。 わたしはそう思ってます(*^ω^*) さてさてわたしの新しいスタート。 本音を言うとすごく怖いんです。 どんどん不自由になっていくこの体が。。 怖くて怖くてたまらない。 でも、新たな気持ちで、これからの自分の人生を歩んでいけそうな気がします。 悲しみも苦しみも抱えつつ… わたしは強くなんかない。弱いけれど必死にもがいてるうちに、病気が少しずつ強くしてくれるの。 また弱音も書くと思いますが…(*^^*) (※ここで上げた病気のことまだよく知らないし、わたしはレアケースだと思うので参考にはしないでくださいねm(_ _)m)
こんばんは。こころです。 新たな症状が出始めて、怖くてたまりません。 たぶん暗くなります。閲覧注意です。 気分悪くされたらUターンしてください。 体の麻痺が進行しているんです。 去年の夏7月末に、突然右手足が麻痺し始めました。 あのときも急速に悪化していった… まずはいつもリハビリに行ってる整形のリハの先生に話し、いろいろ筋力チェックして診察に強制連行。 診察時間過ぎてるのにみてくれました。 わたしも主治医も、まずは頭のMRIを撮るのが最優先ということで意見が一致しました。 次の日、床に座ろうとしたら、膝に力入らず膝折れして足首捻挫。 もうヤバイと思って、MRIがある大きめの病院の脳神経外科を探しました。 紹介状なしですぐに診てくれる病院ないか、片っ端から電話してやっと見つけた。 ある総合病院の院長、脳神経外科の先生がみると言ってくれました。 院長に電話繋いでくれた看護師さんに感謝です。 次の日受診。この時点で発病4日目。 麻痺以外にもあった症状から脳腫瘍かもと言われた。それか脳梗塞。 即、頭のMRI、首のレントゲン。 先生がMRI室に見に来てました。 頭の太い血管がちゃんと映ってなく、血管の病気の疑い。これが本当なら頭中に血液行き渡らんだろって思った。それぐらい血管がない。 その2日後、土曜日で診察やってないのに診てくれて、頭のCT、首のMRI。 このときも先生がMRI室でリアルタイムで診てくれてました。 すごく優しくて丁寧な先生で、誰もいない土曜日に1人で3時間以上の診察という贅沢。 いっぱいお話ししました。 結局、原因はつかめなかったけど、もしかしたら1週間以内に全身が動かなくなるかもしれないと言われた。 絶望的だった。。でも現実味があり淡々と受入れてました。 わかるならこの素敵な先生にずっと見てほしかったけど、限界だからと大学病院へ。 ここからは、いくつかの病院を転々としました。 県内の大きな病院行き尽くすんじゃないかという勢い。入院もした。 膨大なお金と時間を使って、10人以上の医者に診てもらい、結局わからなかった。 いい医者ばかりじゃなくて、精神的なものだとすごく傷つく言い方をされたこともある。 もし本当に精神的なものだったら、あなたの言葉のせいでひどくなるって言いたかった。。 原因がわからないから治療もできない。 それでも、右手足の不自由さをカバーして生活する術を次々と見つけていきました。 そんなこんなでもうすぐ1年が経とうとしている今… 右手足だけだった麻痺が、左手足にも出てきました。進行しちゃった。。 最近よく物を落とすとは思ってた。 (携帯落としすぎてそろそろ壊れそう) 確実におかしいと思ったのは日曜日。急速に進んでる。 昨日いつものリハビリに行って、主治医に診てもらったら… 『今までで一番悪いね。次の外来待たず神経内科に速く行ったほうがいい。検査入院になるかもね』 って言われました。 また入院ね…… リハの先生とこれからの生活のこと、いっぱい悩んだ。 3年ぐらいリハしてもらってる大好きな先生。 わたしの体のことを一番知ってるのは主治医ではなく、リハの先生かもしれない。 身の回りのことが自分でできなくなることが怖くて怖くて。。 一刻も速く神経内科に行きたいと思った。 で、今日の朝、病院に電話したら主治医がみてくれるってことで、行ってきました! 主治医交代したばっかりで全く信頼してなかったけど、意外といい先生かも^ ^ 車いすを自分で操作するのが難しいのに1人で来てるからか、診察終わって先生が受け付けまで連れて行ってくれた。 (たくさんの患者さんの前を先生に車いす押してもらうの初めて…) 書類書けないだろうから代筆してと看護師さんに頼んでくれた。 先生の人柄は信頼できた。医者としてはわかんない… 麻痺の原因はやっぱりわからなかった。もうわかる気配もありません。 2週間後に腰のMRIを撮ります。先週、骨盤撮ったばかりなのに。。 この1年で8回目のMRI。お金が… 原因解明のために働いてるのかわたしは^_^; 左手足が右と同じレベルに筋力低下したら… ごはんを食べることもできません。 立ち上がることもできません。 階段の登り降りができなければ家から出られない(家2階) それはあまりにも悲しすぎるから。 歩けなくなる前に原因を見つけたい。県外の病院にでも行かないとダメかなって本気で考えています。 骨盤のMRIは婦人科の検査で、異常なしって言われたけども… もらった結果のプリントにがっつり病名書いてある。 聞いたことない名前で調べてみたら、超レアな疾患らしい。 あれ?手術せなんやつじゃない? 卵巣の病気。ちょうどずっと痛い左下腹部。 痛み方から卵巣かなと思ってたけど。 なんの問題もないよ、じゃないわ! 会計のときに結果のプリントもらったから先生には聞けなかった。なのでまた行かないとです。。 体の問題が山積みです。 これからのことが不安で、ただただ怖い。 でも、わたしは心は壊さない。 体の悪化はわたしにはもうどうすることもできないし、コントロールできない。 でも、痛みに心を支配されたくない。心だけはわたしが舵をとってブレないでいたい。 今までそう思ってきたから、今回も。 麻痺に心まで壊させません。それぐらい強気じゃないともたないから。 わたしはそれしか心を病まない方法がわかりません。。 もっとバランスとりたいな。 なんかまとまってなくて、長くてすみません。 みんなも1日1日を穏やかな気持ちで過ごせますように(*´꒳`*)
私は本当のことをいうと、性別に違和感がある性同一性障害というよりは自分自身の体に違和感(今言っていることはコンプレックスとして考えてみると分かりやすいかもしれません…)を持っています。 私、小さい頃から「女の子らしく」を周りの方に注意されてしまうような子だったので、「女の子らしくしなきゃいけない」と頭にあるんです… 可愛い物や可愛い服装が大好きなのは本当で、ぬいぐるみやドール(お人形)が大好きなのも本当で「将来お姫様になりたい!」と、小さい頃から思っていて、手芸も大好きです。 でも、どうしても受け入れ難い自分自身の体の違和感があるんです… 成長すると共に、身長がのびていること(現身長が約160センチですが、150センチ以下が良かったです…)、バストサイズも成長したこと(ぺったんこが良かったです…)、月経があること… その3つの違和感がなければ、私らしさがなくなることなく、自信を持って「私は女性です!」と言えるのに… その気持ちを、お母さんに話しました… でも、「バストと月経は女性には必要なんじゃないかな…少なくとも、月経は女性にはつきものじゃない?」と返答が… それでも、私は嫌なんです。 受け入れ難いんです… その3つの違和感がなければ、「自分らしく」自信を持って女性として生活できるんです… お母さんにしてみたら、私の言うことは矛盾してしまうことらしいので、もし自分の違和感を受け入れられるようにメンタル面の治療ができるなら本当は良いのかもしれないと思います。 今日(6月28日)は、癲癇の検査入院をした病院の主治医の先生に、上の件と発達障害の件の相談をするために病院に行って来ます。 必要なら、主治医の先生は病院の紹介も考えてくださっているとお母さんが教えてくれました。 不安はありますが、相談して来ます。
親の感情に頼らず生きていけるシステムがあればいいな。 頼るのがダメとかではなく。 今も昔も、頼らざるを得ない状況だけど、今後、それ以外の選択肢があればいいな、と。 長文ですよー。 むかしばなし! 全日制の大学に進学するのが、私と両親の両方の目標で。 さらに、私はどうしても東京に住みたくて、それは大学進学のタイミングしかないと思ってて。 体力的にひとりで暮らすのは、難しかったし、両親も心配していて。 両親が出した結論は、叔母と母が時期をずらして順番に、私と一緒に大学近くのアパートに住むこと。家事や私が体調を崩した時の世話をするために。 「一人暮らしなの?」 「叔母さんと一緒に住んでるよ」 もしくは 「いま母が遊びに来ているんだ」と答える。 つっこまれて聞かれると説明に困る。 病気のことを知らない友人には、東京に元々住んでいた叔母さんの家に下宿してる、みたいなストーリーを勝手に想像してもらうしかない笑 その間、父親は逆単身赴任状態で生活していて、祖母が家事を手伝っていた。 これが、過保護なのか適切なサポートなのか、わからない。私が安心して暮らせて、卒業できたのは、このサポートのおかげだと思う。 すごくすごく感謝している。 でもこのサポートは、両親(と叔母)の感情に由来するもので。 私はこれ以上、家族の感情を消費したくない。 もっといい方法を探したい。 なんとかして仕事を持ち、収入を得ることが、手っ取りばやいけど、それが難しい。 悪化させないことを目標にするなら、一般的な働き方はできない。ので、いろいろ謀略をめぐらせなければ。 今はまだ考え中。 本を何冊か読んだ程度の知識だけど。 重度の障害がある人でも地域で自立生活をしよう! という機運が高まっているらしい。 参考書籍:大橋グレース愛喜恵「でも、生きてるし、今日も恋してる」など。 私は病気の悪化を望んでいるわけではないけど、でも余裕があるうちに、将来どんな風になったとしても安心できるように準備したい。 いろんな本を読もうと思う。 まずは、弱点をさらけ出して、それでも受け入れてもらえる環境、人間関係の構築。 できないよーと思ってたけど、すこしずつチャレンジ中。 大学時代の友人にも、今まで隠していたことをちょこちょこ話したりしてる。びくびくしてたけど、良い友をもったようで、みんなすこぶる優しい反応。 中学生の頃はまわりの友達も中学生だったけど、今は同世代の友達は大人だから、すこし難しい話も考えながら聞いてくれたりと、話しやすくなった、と思う。 人間関係は、大人になればなるほど楽になるよ、と年下のみなさんに言いたい! 大人になっても悪い意味でこどもっぽい人もいるけど、そういう人は無視。 中学生のころ、起立性調節障害をひどくしてしまった時期は大変だった。 親が病気のことを手紙に書いて、学校に伝えていたのに、いろいろと嫌な目に遭ったなー。先生とか先生とか!! 具体的なことは今回は省略するけど、この衝撃的な体験で、病気のことは隠していた方がマシなのでは、という考えが身についてしまった模様。 残念なことに、似たような話はたくさんあるみたい。このSNSでも見かけるし、Twitterなどでも書かれているのを見る。 見かけるたびに激しく怒っている…当時、体調が悪すぎて怒る余裕がなかったせいか、10年経っても思い出しては怒るし泣く。 悲しい思いをする人がすこしでも減ればいいな…。 話がずれずれ。 協力的で献身的な両親にはすごくすごく感謝してる。私は、これ以上ないほど幸運だと思う。 その上で言うけど。 とっても窮屈だよーー!! 生活が全部把握されているんだもの。 大学後半、体調が安定してきてから、休みが来るたびあちこち留学していたのは、この反動だったのではと思っている。 秋田から東京へ、東京から海外へ、誰もついてこれないところまで逃げ続けているような。 結局一番逃げたかった病気からは逃げ切れず、今も親の感情を消費しながら実家で療養している。 最近考えていたことをつらつら。
こんばんは! わたしは、今、通院含め東京に滞在しています。 出発二日前に泊まるつもりだった友達の家に泊まれなくなって、てんやわんやで、とりあえず2週間一人暮らししてみています(笑) この先、どうしようかㅇ_ㅇ そして、 ここから観覧注意 わたしの体のことと部のことを少し話してみたいと思います。 今まで話してこなかった、体のことを少し話してみたいと思っています。 体調のことについて、病気のことについて個人のブログでもここでもTwitterでも言わなかったのは、部のコンセプトである「病気の枠を越えて」って言うのがあるから具体的には言わない方がいいんじゃないかって思ってました。 言えなかった。 とりあえず、 ベーチェット病のことは置いといて、sneddon症候群のことを。 んっと、 Googleで検索してもほとんど出てこない病気です。 Googleさんも知らないことがあるんだなーと思ったのですが(笑) 特に、ベーチェットとの合併は数例程度。 わたしも病気についてよく分からないし、医師でもよく分からないらしいです。 発病から平均だいたい2年くらいで亡くなる方が多いそうで、わたしは発病4年目になります。 平均過ぎたって、後は大丈夫!なんてことはなくてリスクは変わらないし、むしろ時が経つほど上がっていっています。 ちょっとずつ、ちょっとずつ、進行しています。 体が動かない日も増えてきました。 入院中は救命上がりの人が入ってくるような重症患者の部屋で半年過ごしました。 意識が2週間くらい朦朧としてたこともあって、本当にしんどかった。 だからこそ、 わたしが居なくても部がまわるように必死で体制を作ってきました。 部室は、いつも「普通」から外れることが多いけど、いろんな病気の子がいる部室では「普通」の枠に入れる場所になるように。 活動は「こんなことをしてみたい」の背中を押せるように。 闘病女子部は、 ベッドの中からでもいつでも行ける外の世界になればいいなと思っています。 たった半年で、 思ってた以上に急成長してたくさんの方が部に共感して入部して、 嬉しいことだけど制度や体制が付いていかない部分も出てきちゃうし、人が集まればいざこざだって出てくるし こういうときに人間性が試されるんだなぁとしみじみ思います。 その時々でわたしが出せる最善の回答をしてるけど、誰かにとっては正解でも誰かにとっては不正解になってしまう。絶対に。 みんなにとって正解になるのが一番いいし、それを目指してるんだけどなぁ... 仕方ないとは言わないけど、後悔はいつも無いです。 反省はあるけど(笑) 人数が少なかったら仲良しグループでも居れるけど、もうそれは難しいです。 闘病女子部という社会になりつつあるから。 でも、それぞれの気持ちや意見をなるべく汲み取りたい。知りたい。そう思っています。 「あ、そういえばね!」くらいのことでも気軽に話しかけれる体制や雰囲気を作っていきたいなぁ... その中で、 間違ってることは「それは違うんじゃない?」って言うこともあると思います。 個々のルールだけじゃなくて、社会の中のルールに当てはめなきゃいけないときもあるから 例えば、 同じクラスの中でいざこざがあったとして、「あの子を他のクラスにして!」って言うのは、自分にとってはいい解決策だけど社会の中の常識に当てはめたら根本的な解決では無いし、もっといい解決策もあると思う。 出来るだけ、 なんでそれは違うのかということを一緒に考えて、もっといい方法も考えていけたらいいなも思っています。 その中で、 他の人に意見を仰ぐこともあるかもしれないし、相談して許可をとった上でみんなで考える場を作ったりもしていけたらなと考えてみたり 無意味に否定することは絶対にしないけど、社会の中のルールに遅れたまま生きていくことは先々に良くない影響をすることもあるから。 教えてくれないことも多いものだし 「病気を抱えてるから常識に疎くても許されると思ってる」って、思われるたり言われたりするようなことがあったらやだもん。 だから、 間違ってることは間違ってるって言うけど、解決策や対策は一緒に考えていきたいと思っています。 だから、 何でも言ってきてほしいかなぁ。 言わないと何も変わらないことが多いけど、言うだけで変わることもあるから 余談ですが、 本当に女子、 集まると大変! 集めたのわたしだけど(笑) 女子校出身なので、 女の子が集まって楽しいのもいざこざがあったりすることもなんだか懐かしい気持ちになったりしてるのもあります。笑 最後に一番言いたかったことがあるのですが、なんか...みんな私に対してかしこまりすぎて悲しいですㅇ_ㅇ 敬語じゃなくていいのに...フレンドリーにして欲しいのに...友達になって欲しいのに... ものすごく悲しくて寂しいので仲良くしてください(´இωஇ`) そして、 体もポンコツなので手助けしていただけるととても心強いです
こんにちは。ここ最近、体調不良の投稿をしまくっていてお騒がせしています…汗 今日、色々あって、長年の主治医のところ(小児科)に行き、かなり原因が分かった感じです。 「心の疲れに、身体が悲鳴を上げて、サインを出している状態」らしいです。喘鳴はありますが、喘息では無さそうです。 今日、先生とお話ししていたら、最初は息苦しくて、途切れ途切れだったのに、いつのまにか喘鳴の症状が良くなってきて、驚きました。 今後、元の病気に加えてそれも診てもらえるそうです。 ここから、超長文&私のメンタルな話が入るので、閲覧注意。 配慮して書いてますが、ここから先の文章で、不快に感じてしまったら本当にすみません。 文章おかしいかもです。ご了承下さい。 では…。 一昨日から、微熱が出るようになり、昨日の夜からは、いつもより息苦しい状態で、腹痛も起こるようになっていました。 今朝は、とりあえず学校に行きましたが、喘鳴で1限受ける前にダウンして、保健室に。一向に治まらなくて、酷くなるので早退。総合病院より国立病院の方が近かったので、IgA血管炎でお世話になっている長年の主治医の先生の居る病院に行きました。 注:ここから先の会話文、()内は私の心の中の呟きとなっています。 まず、聴診して「喘息では無いね。」と。 「もう、疲れに身体が悲鳴を上げているよ。サイン出してきてるよ。昔から診てるけど、〇〇ちゃん真面目だからさ。多分ここで私がそう言っても学校休まないし、休めないんだと思うけど(さすが…図星…(^0^;))、私としては、本当に、1週間とか、かっちり家で休ませて、ゆっくりさせたい。病状的には必要ないけど、休めないんだったら、場合によっては入院させたいぐらいは思ってるよ。じゃないと、これからもっと大変なことになっちゃうかも知れない。」 と言われ。 しかし、実は私のストレス源は、学校ではなく、圧倒的に家庭内なのです。 「どちらかというと、学校の方がストレス発散になってて良いけど…。家の方が…」と言う話をしたら、 「どうしたの…?もう付きあい長いんだから話しなよ笑(ほんとにそうだな笑)話聞くよ。」 そう言ってもらったので、話せました。母が同室に居たので、母が分かっているレベルでの、家庭でのストレスを。 家庭環境の改善を、もの凄く真剣に考えてくれました。なんかもう、泣きそうでした。 そうしたら、それよりも深い話も、先生に話したくなって。でも、母が居る場所では話せないので、母には申し訳ないですが、一旦出てもらって、先生と2人だけで話しました。 沢山お話ししました。 先生は、私の話を沢山聞いてくれたし、先生自身の話も聞かせてくれました。 いつのまにか、朝、あんなに苦しかった喘鳴は落ちついていました。 お話全体を通して、「決して、あなたの心が弱いわけじゃ無いんだからね。今、年的にもそういう時期でもあるんだよ。いつか、抜け出せるからね。」って、何度も言われました。 結局、「凄くよく分かったよ。これから、お話聞くから、学校帰りとかにおいでよ。身体の方も、辛かったらおいで。」 と言ってもらい、七夕に予約です。 まだ微熱下がらないし、息苦しかったり、辛いこともあるけど、今、支えてくれる主治医の先生達(小児科だけで病院3つ、主治医が3人笑)にとてもとても感謝しています。 頼るところは上手く頼りながら、気抜くところは上手く抜きながらやっていきたいです。