はじめまして!の人もそうじゃない人も、改めましてよろしくお願いします(•ᵕᴗᵕ•)私が最初に体がおかしくなったのは小学校4年生の時でした。今までは全くなかった喘息の発作が出るようになり、原因不明の腰痛に苦しめられました。1年ぐらい腰痛は続いて、その後自然消滅したのですが次に異変が生じたのは6年生の時。運動会の練習中に熱中症で倒れたり、その年の冬にインフルエンザがなかなか治らなかったりしているうちに微熱と頭痛が続くようになったのです。でもなぜかそのことを親には言いませんでした。そして我慢することが当たり前になっていきました。その後中学生になってしばらくは元気に過ごしていましたが、1年生の2学期のある日、突然頭痛で起き上がれなくなりました。ようやくそこで親もおかしいと思ったようで病院に行きましたが、「学校に行きたくないんじゃないの?」と言われただけでした。私はそう言われたことが嫌で、ムキになって学校に通いました。とは言っても2日に1回はやはり起き上がれず休むようになりましたが…。そして3学期の始業式の日、私は遂に壊れました。教室に入ろうとすると冷や汗と震えが止まらなくなり過呼吸になってしまったのです。そこから不登校になりました。その後結局中学校には1度も行くことなく卒業しました。でも高校はちゃんと行きたかったので、不登校の子にも理解のある全日制の高校を選びました。最初のうちはやはり何度か教室に入れなくて過呼吸で倒れたこともありましたが、学校側のサポートもあってだんだん教室に入れるようになりました。やっと高校生活が楽しめるようになるかな、と思った矢先、線維筋痛症を発症しました。実は高校入試の一週間前、小4の時に経験した腰痛が全身に広がっていたのですが、入試3日前に治っていたのであまり気にしていませんでした。でも今度は痛みが比べものにならないほど強い。とても学校に行ける状態ではありませんでした。たまたま知り合いの友人が線維筋痛症友の会関西支部の支部長さんだったので、すぐに病院を紹介してもらい受診しましたが、その医師の対応はそっけないものでした。「若い子は診断が難しい。様子を見よう」実際そうなのかもしれません。仕方のないことなのかもしれません。でも当時の私にとってそれは見放されたのと同じことでした。全身痛くてたまらないのに、様子を見るということはこの痛みに耐え続けなければならないということ。とても辛くて苦しい毎日が始まりました。薬もどんどん効かなくなり車椅子が必要になることもありました。不思議と体調には波があって、嘘のように動ける時もあったのでその間にがむしゃらに学校に通いつめて勉強しました。そうすると必ず無理がたたってまた痛みが酷くなって動けなくなって…その繰り返しでしたがなんとか単位を取ることができ、高校3年生の夏休みからはスーパーのレジのアルバイトもしました。そして卒業後もそのアルバイトを続けました。でもやはり無理がたたったのでしょうか、今までなんとなくはあったけど我慢できていた倦怠感、疲労感、微熱といった症状が我慢できないほどになっていきました。そして遂にアルバイトも辞めざるをえなくなってしまいました。1年ちょっと前のことです。そしてその後、病院を変えてようやく線維筋痛症、慢性疲労症候群との診断が下りました。今は体を起こし続けることができないためほぼ寝たきり状態です。外出時は杖かリクライニング車椅子が必要です。調子の悪い日は痛みで意識が朦朧とします。失神することもしょっちゅうです。食べることも水を飲むことも痛くてできなくなって脱水状態になります。体の上に象が何十匹も乗っているようで息をするのも大変になります。前は、嘘のように調子が良くなったりすることもありましたがここ3年ほどは一度もそんなことはありません。これからあるのかもしれませんが。このカラダになって、とっても苦しい毎日を過ごしてきました。でも、苦しいだけではなかった。幸せって感じられる時もたくさんありました。今も、そう、闘病女子部に入って似た状況の仲間に出会って励まし合える場に来れたこともとっても幸せです!どうか、この幸せがみんなにも広がりますように…長くなってしまいましたが、どうぞよろしくお願い致します( ᵕᴗᵕ )